見るモノ、聞くモノ、食べるモノ
歳を取るとどうしてこうもつまらなくなる(・ω・)…
コダワリが無かった訳でも無いし
なんでも良かった訳でもない
後を振り返って見ても何かを誇れるものも無く、
今まで何してたんだろう??
っと、わりと本気に思う(・ω・)w
やりたい事って若い時は考えなくても沢山浮かんでは消えしていたはずなのに…
いつの頃からか全く無くなってしまった…
昔から生きる意味をずっと探し続けているが…
答えは…
惰性で生きてるだけ
何か自分にしか出来ない事がきっとあるんじゃないか?
そう思いながら…もうかなりいい歳になってたw
実際そんなモノに巡り会う事が出来る人は何%いるんだろう?
前から分かっている事だが
多分私は夢を見れないのかもしれない
合理主義で無駄な事は嫌い
だから長く生きれば生きる程
先を見てしまう為にやる気事態が無くなる…
誰かにバカの方が楽に生きれると言われたが…
そんな生き方が出来る様になるには
多分後20年はかかると思うw
やる気スイッチはとうの昔に壊れてしまったのかもしれない(・ω・)w
話は変わりますが最近のロシアやアメリカを見ていると昔読んだパンセを思い出します(・ω・)
正義。力。
正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。
力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。
力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。正義のない力は 非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。そのためには、正しいものが 強いか、強いものが正しくなければならない。
正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。そのために、人は正義に 力を与えることができなかった。なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だ と言ったからである。
このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。
力と正義は同一視されていて
強いモノが正義である
この定義は間違ってはいない、力の無い正義は脆く理性的な人がいて初めて成り立つ
圧倒的な力は悪ではなくそれ自体が正義なんだと世の中を見たらそう思う
(・ω・)
でわでわ